杜の都のSF研日記(アーカイブ)

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面白かった・・・(ネタばれしてますよー)

[映画]パヒューム

この映画のどこらへんが気になったかといえば、ちょっと有り得ないくらい綺麗な先生の家の崩れ方ではなく、霞を喰って生きてるのでもなければ信じがたい体臭のない人間の存在でもなく、さらに言えば、嗅覚のほかに鋭い聴覚を持つはずの犬に気づかれずに歩き回れるという無茶設定ですらなく。類まれなる才能を持ち、人を殺してまで至ろうとする想いをもって辿り着いた場所が結局自分が望んだものではなかったという結末が、人は本当に望むものこそを手に入れることが出来ないというその在り方が、えらくラノベっぽいな、という点であったというお話。
なんというか、奈須さんとかが好んで使っていそうな設定な訳で。原作は全世界で1500万部売れたとかいう話も聞いたのだが、つまるところ、これを読んで面白いと思えた人間の多くにはラノベ読みとしての素質があるのではないかと思えたりして、いや精緻な描写と精密な設定をこそ面白いと思えた人もいるんだろうが、それはそれとして物語の根幹にある部分、つまり多くの人を魅了したであろうテーマが娯楽性に偏っているというか、Science・Fictionでこそないものの、人間というものがもつ一つの要素のみを取り出したときに織り成される物語を描いた一種の思考実験ではないかという気がしたり、やっぱそれってSFの一分野といっていいはずで、でもやっぱりこれはScienceにおけるFictionというよりも、人間のあり方に対するFictionな訳なのだから、俺が賛同する『ライトノベル ⊃ SF』という考え方をもとにこれは絵が入っていないラノベだと言い張ってみたり。つまり、何が言いたいかといえば物語ってのは娯楽なんだからラノベもSFも文学も大差ないですよー、ということ。
問題があるとすれば唯一つ。俺がパヒュームの原作を読んでいないことであろうか。


さて、上の駄文とは別に少々感想を。この作品、おそらく宗教風刺として作られているんだろうな、と。原作を読んでいないので作者の意図なのか、シナリオライターの意図なのかはわからないが。
まず、前半でグルヌイユにかかわった人間は次々と死んでゆく。母親、施設のおばさん、親方、マスター。あまりにサクサクと死んでゆくので、なんのギャグだと思わず笑ってしまいたくなるのだが、物語が進むにつれどうやらこの展開は前振りだったのではないかと思えてくる。中盤以降における殺人シーンのあとに、司教(?)さまが犯人の破門を言い渡す場面があるのだが、終盤グルヌイユが刑を執行される直前に、完成した香水のにおいを周りに振りまくと、民衆と貴族、さらには司教までがグルヌイユを天使だと賛美しはじめる。そして、そのままサバトへ突入。いいんですか、これは。いや、香水の染み込んだハンカチを民衆が追い求めるシーンや、ローラの父親にさえ殺してもらえなかったシーンは悪魔の孤独を巧く描けていて点数が高いんだが。しかし、ラストで飢えた人々に自らの血肉を与えて心を満たさせるシーンを入れる徹底振りなど、ほんとうにいいのか? こういうのを観ていると、西欧で宗教批判はどのくらい許されているんだろうと思わず気になってしまったり。いや、俺の中では、『暴力を振るって良い相手は悪魔共と異教徒共だけです』という発言が神の使徒に対する認識なわけだが。さすがにアレがデフォルトじゃないですか、そうですか。