杜の都のSF研日記(アーカイブ)

旧「杜の都のSF研日記」http://d.hatena.ne.jp/sftonnpei/ 内容を保管しております

九月一日

再び横浜へ。早朝にバスで到着。
学生ボランティアは一日三時間ほど働かねばならないらしいので、午前中はお仕事。
まずは展示ホール入り口でお金の中継。会計は一人しかいないが、登録所は複数あるため結構距離があるのだ・・・が、自分は一番近いところとの中継。なんか、役に立ってるというより移動の邪魔になってるような気がしていたのだが、案の定「そこは邪魔だ」とおばさんに言われてしまった。まぁ、そのとおりだろうなァと思った私は、素直に奥に引きこもろうとしたところ同じSF研の連中を発見。一緒に仕事をすることに。
そこでの仕事は袋詰めされたプログラムの入れ替え。来る日本人が予想より多かったらしく、英語のプログラムを袋から抜き取って日本語のプログラムに入れ替えるのです。って、これは自分が29日に詰めたやつじゃないですか・・・。どこの賽の河原だ、ここは。
で、その後は売り子さんのお仕事。そこの責任者のオネーサンはいい人だった。
ここで午後一時。四時間近く働いた計算になるので、そろそろイベントを回ってみることにする。

SF研究、SF教育

日本や海外の大学でSFについて教育している先生方からのお話。
日本人の方々が話している間は疲れのため爆睡。その後、海外の先生方の話は少々聞けた。
阿部公房について研究している学者さんは、日本のゴジラアメリカのゴッドジ〜ラの比較などを通してSFの研究をほかへ活かすとか何とか。ちなみに、学者さんに国では、漫画やアニメは多く訳されているし、星新一は純文学としてこれも数多く訳されているとのこと。しかし、SFはあまり訳されていません、だそうな。うむ、さもありなん。
次の現代(モダン?)文化にSFを取り入れたい人は、大正のメディアの激動の展開に注目しているとか。メディアの文化とは都市の文化そのものであり、情報化する社会において現実の社会から非現実の社会をブラックユーモアを用いて表した筒井をこそ研究しています、とかなんとか。
で、どこぞの大学教授さんは、かつて学長になぜSFなんぞを研究するのかと聞かれたとき上手く答えることができなかった。そんな折、ニューヨーク・タイムズで『コミックコーナー(SFの話じゃなかったのかな?)は逃避でしかない』という見解が述べられたが、最近の新聞で『逃避主義といっても、それは出会うことのなかった出会いとの、もう一度の出会いなのだ』という記事を見て感心したらしい。次は学長に上のように答えるつもりらしいが、そんな彼女に自分から一言送りたい。それは自分が高校のときにラノベを読むのに使っていた言い訳だと・・・。

SFドラマシアター 「他人の気持ちがわかりません」

ドラマシアターというものが何かも知らないまま、とりあえず会場へ。どうやら4人で寸劇をやるらしい。
あー、とりあえず役者の皆さんは頑張っていた。脚本もガンバッテイタ。
とりあえず、特に言うことは、ない。

ハップル宇宙望遠鏡から見た宇宙

日本語の解説が一切ないのはどうしたものか。聞き取りやすい英語ではあったが、自分の能力では歯抜けのようにしか理解できない。正直、銀河の美しさと相まって、いい感じの子守唄だった。


この日は、この後にヒューゴー賞の発表があったのだが、自分にはまったく興味がなかった。自分は日本SFの方が好みで、海外の作品にはあまり興味が・・・。昔の作家は面白い作品を書いていると思うが、最近ではテッド・チャンくらいかな。ま、そんな訳でSF人としての教養が全くない一年と一緒にロビーで駄弁っておりました。
で、その後待ちくたびれて式の途中で部員を召集。式を見ていた方々から、こいつ何のつもりだ、というような目で見られたが華麗にスルー。飯を食いに行く。その後、宿泊するために満喫へ。4人分しか席がなかったので、残りは別のところへ移動することに。しかし、引率するべき3年が一軒目に残って、1・2年を放り出すのってありえないよな〜と思いながらも熟睡。うむ。心は鉄でできている。
そんなこんなで日が変わる。



そろそろ文字を打つのに飽きてきたので、また後日。(銀)