ネゲントロピー(Negentropy)って、むずかしいです(><
以前取り上げた福岡 伸一『生物と無生物のあいだ』*1について、私はたまたま最近に、シュレーディンガー『生命とは何か』*2を読んだところ、面白い指摘*3を見つけた。ので、ここに全文引用する。
註1 ただし、第六章60節(一四五ページ以下)の「負エントロピー」という言葉は、その直後の原註にもかかわらず、やっぱり誤解を招きやすい言葉だ。なぜなら、今日の物理的科学には熱力学のエントロピーと通信工学に由来する情報理論のエントロピーという二種類のエントロピーがあって、この両者が分子生物学の大学教授などによっても、しばしば混同され過誤や混乱を助長しているからだ。私はたまたま最近(二〇〇七年)に出版された通俗科学書のベストセラーものの一つに、この混同と過誤の誠に見事な標本を見つけたので、ここに引用する。
シュレーディンガーは誤りを犯した。実は、生命は食物に含まれている有機高分子の秩序を負のエントロピーの源として取り入れているのではない。生物は、その消化のプロセスにおいて、タンパク質にせよ、炭水化物にせよ、有機高分子に含まれているはずの秩序をことごとく分解し、そこに含まれる情報をむざむざ捨ててから吸収している。なぜなら、その秩序とは、他の生物の情報だったもので、自分自身にとってはノイズになりうるものだからである。(『生物と無生物のあいだ』一五〇ページ)
この文中の「生物」を「動物」と書き換えれば、少しはましだ。それにしても、シュレーディンガーは、本書をまともに読めば分かる(『ガモフ物理学講義』、白揚社近刊の中の「生命の熱力学」の項とそこの訳註を見ればいっそう分かりやすい)ように、タンパク質などのような有機高分子の秩序を負のエントロピーの源だなんて言ったのではない。そして彼は、遺伝物質を構成する大型分子(彼が非周期性結晶と呼んだもの)は、時計の歯車のように熱力学を一応超越した(エントロピーと無関係な)個体部品だと言ったのである。
この指摘について、『生物と無生物のあいだ』の著者の方は何か反応したのでしょうか?
情報求む。
*1:
*2:
*3:上書,p.214