杜の都のSF研日記(アーカイブ)

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マン・プラス フレデリック・ポール

マン・プラス (ハヤカワ文庫SF)

マン・プラス (ハヤカワ文庫SF)

もしこれらすべてのことを人間に施したなら、そのあとに残るものは、もはや正確には人間と言えない。
    マン・プラス
それは人間+大量のハードウェアということだ。

人類は急速に滅びの道を歩んでいた。環境悪化、そして国家間の緊張。コンピューターがはじき出した解決策はひとつ。全面戦争勃発の前に火星の「自立できる」恒久的植民地を建造すること。しかし、火星環境を改造する時間的余裕も技術も存在しない。そこで提案されたのは火星環境に適応したサイボーグの開発。これにより、地球の支援なしにやっていける基地の建造と運用が可能になる。ところが実験用サイボーグ第一号が実験中に死亡。原因究明が進む中、引退宇宙飛行士の一人に2号としてのお鉢が回ってくる。淡々とした語り口で勧められる読んで字のごとくの「MAKING OF CYBORG」と「LIVING AS/WITH CYBORG」。ネビュラ賞受賞作。


脳神経技術の発達でがぜん現実味を帯びてきたサイボーグ技術。それでもいわゆる「わたしはなにかされたようだ」という側から正面きって描くのは異色*1。宇宙開発への利用という点ではアイデアとしてはサイボーグという言葉がある*2前から自分たちに「生きがいはない」人たちもいる訳だけれども*3。「人を環境に合わせる」ことを異星居住の基本原則とするというアイデアを扱ってるのはシマック『人狼原理』だったか?かなり前に入手したはずだがどこへいった。むむむ。


サイボーグ一号が失敗した原因は感覚(とくに視覚)刺激をそのまま脳へ入力したことであり、科学者たちは予防策として2号に、入力された刺激を整理するバッファのようなものを設ける。このあたりは『しあわせの理由』の主人公のような感じ。人間の目の持つ(正確には視神経?)特異な働きを切り取って扱ったのはなかなか面白い。カエルと物体に関するくだりはけっこう有名だが、人間においてそこまでバッファされてるのかはちょっとよく分からない。要復習。初めて使ったとき、他人との区別がつかなかったり、それを学習して自動修正するもののとまどうシーンがある。時間感覚すら調整可能なサイボーグ化に伴う五感の変化が事細かに考察されているのが本作の特徴。また、「ライトスタッフ」的に持ち上げられる飛行士と振り回される妻なんかも登場。某改造人間と違い人間体などという便利な物はないため、ずばり異形のまま会いに行くシーンはショッキング。

"Man Plus Us"
人間に我々を加えて

ラストでとんでもないどんでん返しが待っている(といいつつ、SREや階差機関でも使われてる古典的なもの)が、ここでの「両者」の絡ませ具合はそんなに深く考察されてはいない。機械と人間、互いに良きパートナーとして互いにやっていく上でサイボーグはどの立ち位置にいるのか?ということにはあまり突っ込んでない感がある。このへんはクラーク『メデューサとの出会い』(太陽からの風)のほうがよい感じ。


そういや、マクロスプラスの「マシン・マキシマム構想」もここから来てるんだろうか。最終結論はゴーストX-9という身も蓋もないものだったが
(追記)
「マン・マキシマム」は青ベル3巻以降のほうだった(先に書いてたのは見事な勘違い)。搭乗者優先の設計思想らしいが、結局それでは物にならず、「マシン・マキシマム」へと移行。そして完成したのは加速しただけで肋骨が折れる化け物テスタロッサ。ちっとも乗る人に優しくないだろうがぁ!!


劇中でたびたび言及されてる「日本のホラー映画」というのも気になる。年代的にはいつの物になるのだろう?一部ではズバリ初代ライダーの一期だという噂があるけれど。

*1:初代アーマードコアでは強化人間のことを俗に「プラス」と呼んでいた おそらく元ネタはここからのはず

*2:サイバネティック・オーガニズムの略であり、1960年に概念が提示された

*3:調べてみると1950年